頭の中で、何度も再生される「あの言葉」
この記事を読んでいるあなたも、誰かから言われた些細な一言が、まるで呪いのように頭から離れなくなった経験はありませんか?
「本当に言われたのか、それとも自分の思い込みだったのか…」
確信が持てないのに、その言葉だけが、ふとした時にフラッシュバックしてリアルに響き続ける。
これは、かつて司法書士の夢を諦めた私が、すべてを投げ打って仕事に打ち込んだ末に、心を壊し、適応障害と診断されるまでの物語です。
1. 夢を諦め、心をすり減らした覚悟
もともと私には、司法書士になるという目標がありました。しかし、高齢者施設での生活相談員という仕事は日に日に責任と業務量が増し、次第に勉強時間を確保することは不可能になりました。
人の命を預かっている。法人の運営を支えるためにも中途半端は許されない。
私は夢を諦め、自分の時間を削り、目の前の仕事に全力で取り組んでいました。
法人はここ数年赤字がつづいている。介護の現場の皆や事務員の給与やボーナスも、自分の仕事で左右されてしまう。甘えている暇はない。
上司にも細かく数字をつつかれつつ、毎日定時を超えて仕事に取り組み続ける毎日でした。こんな仕事を続けるうちに、僕はいつしか業績という数字ばかり気にするようになっていたかもしれません。
2. 卑怯な一言と、「絶妙な声量」という暴力
そんなある日、私は施設長に呼ばれていました。業務報告を終え、部屋を出て、扉が閉まるか閉まらないかの、その瞬間。
「…役立たず」
わざと、ギリギリ聞こえる声量でした。ボソッと、しかし確かに耳に残る声。もし録音していても、決して証拠には残らないであろう、まさに「絶妙な声量」でした。
卑怯だ、と思いました。 正面から向き合うこともせず、逃げ道だけを用意した、卑劣なやり方でした。
そして同時に、もう一人の自分が叫ぶのです。「本当に言われたのか?聞き間違いじゃないのか?」と。この、事実か幻聴か分からない曖昧さこそが、心を蝕む猛毒でした。
『司法書士の夢まで諦めて尽くしてきたのに。』この仕打ちは、あまりにも辛く、私の努力と覚悟のすべてを、根底から否定する一言でした。
3. 涙が止まらなかった日
心が限界を超えると、体は正直に悲鳴を上げ始めます。
注意力が散漫になり、ありえないような書類のミスが続きました。
そしてついには、通勤途中に車の接触事故を1週間のうちに2度も起こしてしまったのです。幸い大きな事故ではありませんでしたが、明らかに日々の注意力が落ちていました。
その様子を見かねてか、仕事中に看護師でもある上司が、私を別室に呼びました。「少し、話をしない?」と。 上司の優しい問いかけに、私の心の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れました。
「司法書士を諦めてまで、頑張ってきたのに…!」
悔しい。悲しい。そして、怖い。
その感情がごちゃ混ぜになって、涙が滝のようにあふれて、止まらなくなりました。
子供のように声を上げて泣きました。
それは、私の心と体が発した、最後のSOSでした。
4. 診断、そして「何もしない」という優しさ
上司の勧めで精神科を受診した私は、「適応障害」と診断されました。 診断書を持って会社に行くと、会社は驚くほど配慮してくれました。
引継ぎを終えての休職中、仕事に関する確認事項の連絡などは一切なく、完全に仕事と私を切り離し、「何もしない」という時間を与えてくれたのです。
もし上司が声をかけてくれていなかったら・・・。
きっと僕は崩れかけたまま、さらに酷い状態になっていたでしょう。
精神的な病気は、人から言われないと気づけない。
私も気づけませんでした。
だからこそ、声をかけてくれた上司の優しさには、本当に救われました。
しかし、心が少しずつ回復し、落ち着いて自分を見つめ直した時、気づいたのです。 「また、あの場所に戻りたい」とは、どうしても思えない自分がいることに。
感謝と、戻れないという現実。その狭間で揺れながら、私は退職を選びました。
最後に、この記事を読んでくれたあなたへ
私は、専門家ではありません。適応障害を完全に「克服」したわけでもありません。今もHSPの気質と向き合い、心穏やかに過ごせる日を探して、試行錯誤を続けている最中です。
このブログは、そんな私の「自分らしく輝くための道のりの記録」です。
もしあなたが、かつての私のように出口の見えない場所にいるのなら、このブログをあなたの「安全地帯」の一つにしてください。これから、私がどうやって心を休ませ、自分だけの働き方や人との距離感を見つけていったのかを、一つひとつ正直に綴っていきます。
よろしければ、この旅の仲間になってくれませんか。
コメント